大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和41年(行ス)2号 決定

抗告人(申請人) 近藤幹雄 外一名

相手方(被申請人) 都留市長

主文

原決定中抗告人近藤幹雄、同松永昌三に関する部分を取り消す。

相手方都留市長前田清明が昭和四〇年九月一五日付で抗告人近藤幹雄、同松永昌三に対してした各懲戒免職処分の効力は、右当事者間の甲府地方裁判所昭和四〇年(行ウ)第三号免職処分取消請求事件の判決確定にいたるまで停止する。

理由

(抗告の趣旨と理由)

抗告人ら代理人は、主文と同旨の裁判を求めた。その抗告理由の要旨はつぎのとおりである。

抗告人近藤幹雄は都留市立都留文科大学の助教授として音楽理論および器楽の授業を、抗告人松永昌三は同大学の講師として日本史の授業をそれぞれ担当していたものであるが、昭和四〇年九月一五日付で相手方から地方公務員法第二九条第一項第二号による懲戒免職処分を受けた。抗告人らは右のような懲戒免職処分を受けるべき理由がないので、甲府地方裁判所に懲戒免職処分取消しの訴えを提起したが、右処分によつて生ずる回復困難な損害を避けるため緊急の必要があることを理由として同裁判所に処分の効力停止の申立をしたところ、同裁判所は昭和四一年一月二八日抗告人らの申立を理由なしとして却下する旨の決定をした。しかしながら、

(一)  抗告人近藤幹雄は、本件懲戒処分当時、大学から受ける月額金四万三四六〇円の俸給と山梨大学学芸学部の非常勤講師として受ける月額約金三〇〇〇円およびNHK甲府放送合唱団の指揮者として受ける月額金七〇〇〇円合計金一万円程度の副収入とで母のほか弟妹二人都合家族四人の生活を維持していたものであるが、本件懲戒処分後は収入としては右副収入の一万円のほかは何もないため、生活に必要な経費の不足分三万円位は借金によつて補うほかない状態である。しかし、借金にももとより限度があつて今後それほど期待しうるわけではなく、そのうえ、懲戒処分を受けたため、山梨大学学芸学部の非常勤講師の仕事も昭和四一年四月以降は維続することができなくなり、かつ、このような不名誉な処分を受けた関係上臨時に収入を受けうるような他の職につくことはとうてい不可能である。したがつて、本案判決の確定まで相手方からの俸給がえられなければ、その生活に回復困難な損害が生ずることは明らかであり、これを避けるために本件処分の効力を停止する緊急の必要がある。のみならず、同抗告人は都留文科大学において音楽の講義を担当するとともに、小学校における音楽教育の方法に関する研究、イギリスのバロツク音楽の研究を継続してきたものであるが、本件処分が続くかぎり、同抗告人は同大学付属小学校において実際的な研究を続行することが不可能となるばかりでなく、バロツク音楽の研究についても、同大学の資料や他の図書館の資料を閲覧、借用することが不可能となる。同抗告人がみずからの負担で書籍を購入したり、調査をすることが不可能なことはいうまでもない。これら学問研究の面からみても、本案判決の確定まで待つことは、同抗告人に回復困難な損害をもたらすものであり、これを避けるため本件処分の効力を停止する緊急の必要があるのである。

(二)  抗告人松永昌三は、本件処分当時都留文科大学から月額金三万六三六〇円の俸給を受けていたものであるが、家族は妻、長女および妻の母の三人であり、これらの家族は山口県阿知須町に別居していて、妻の高校教員としての給料月額約金三万円と同抗告人からの送金とによつて生活を維持していた。そして、同抗告人らが別居生活をしているのは、結婚した昭和三六年四月当時同抗告人はいまだ大学院の学生で研究に専念していたため、山口県で高校教員をしていた妻の給料に頼つて生活するほかなかつたばかりでなく、昭和四〇年四月に生まれた長女が先天性股関節脱臼で長期治療を継続する必要があつたという事情もあつて、同抗告人が都留文科大学に奉職した後も直ちには同居生活をすることができなかつたことによるものである。ところが、本件処分の結果、妻子ら三人は妻の収入だけでその生活費、治療費等を支弁しなければならないため、生活困難な状況にあり、したがつて、同抗告人は妻からの送金を期待することもできず、やむなく借金をしたり、予備校の講師をしたりして辛うじて自分一人の生活を維持している状態である。その借金も、これ以上つづけることは容易でないから、本案判決の確定まで俸給を受けることができないことになれば、同抗告人および家族の生活に回復困難な損害を生ずることは明白であり、これを避けるために本件処分の効力を停止する緊急の必要がある。また、同抗告人は、昭和四〇年三月教育大学大学院博士課程を終了しているので、すみやかに博士論文を提出しなければ博士の学位を受ける権利を失うおそれがあり、そのため、同抗告人は都留文科大学に勤務した後は同大学の資料はもとより、国会図書館その他の図書館の資料をも閲覧、借用するほか、みずから毎月相当多額の金を支出して書籍を購入してきたものである。ところが、本件処分によつて大学教官としての身分を失つた結果、同抗告人は都留文科大学の資料はもちろん、国会図書館その他の図書館の資料をも借り出すことが不可能となり、もとより、みずから図書を購入する資力もなく、かくて博士論文作成のための研究はほとんど不可能となつた。したがつて、この研究の面からみても、本案判決の確定まで待つことは、同抗告人に回復困難な損害をもたらすことが明らかであり、これを避けるため本件処分の効力を停止する緊急の必要があるのである。

よつて、抗告人両名につき原決定を取り消し、本件処分の効力を停止する旨の裁判を求める。

(当裁判所の判断)

抗告人近藤幹雄が都留文科大学助教授、同松永昌三が同大学講師であつたが、いずれも昭和四〇年九月一五日付で相手方から地方公務員法第二九条第一項第二号によつて懲戒免職の処分を受けたこと、右抗告人両名がそれぞれ同年九月二九日都留市公平委員会に右懲戒処分に対する不服申立をしたところ、同公平委員会が右不服申立の日から三箇月を経過しても裁決をしなかつたことおよび現に甲府地方裁判所に本件の本案訴訟である免職処分取消請求事件が係属している(同裁判所昭和四〇年(行ウ)第三号事件)ことは、いずれも記録上明らかである。

よつて、抗告人らの右処分の効力停止の申立が理由があるかどうかについて判断する。

行政事件訴訟法第二五条によると、処分の効力を停止することができるのは、処分によつて生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある場合であり、かつ、その停止が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるときまたは本案について理由がないとみえるときに該当しない場合である。そして、右にいわゆる回復困難とは原状回復または金銭賠償が不能な場合ばかりでなく、たとえ、終局的には金銭賠償が可能であつても、社会通念上、そのことだけでは填補されないと認められるような著しい損害をこうむることが予想される場合をも包含すると解するのが相当である。

ところで、疏甲第四五号証の一、同号証の三、同第六一号証の一、二、同第六三号証の一、二、同第七三、七四号証、同第七八号証、同第七九号証の一、二、同第八〇号証に原審における抗告人近藤幹雄、同松永昌三各審尋の結果を合わせ考えると、

(一)  抗告人近藤幹雄は本件処分当時特別な蓄財はなく相手方から受ける月額金四万三四六〇円の俸給および山梨大学学芸学部非常勤講師の手当月額約金三〇〇〇円ならびにNHK甲府放送合唱団の指揮者として受ける報酬月額金七〇〇〇円合計約金五万三四六〇円で母のほか弟妹二人都合家族四名の生活を維持してきたことおよび右山梨大学学芸学部の非常勤講師は昭和四一年四月からは前記処分を受けている立場上継続することができなくなつたこと

(二)  抗告人松永昌三は本件処分当時相手方から月額金三万六三六〇円の俸給を受けるほか特別の財産をもつていなかつたこと、同抗告人の家族は妻、長女および妻の母の三人であるが、これら三人は山口県阿知須町に別居していて、主として、妻の高校教員として受ける給料月額約金三万円によつてその生活を維持していることおよび同抗告人は昭和四〇年四月都留文科大学に就職した後できるだけ早く家族と同居することを希望していたが、同抗告人が教育大学に博士論文を提出するため研究に専念し多額の研究費を必要とすることと同抗告人の長女が先天性股関節脱臼で長期治療を必要とすることなどの事情から同居生活を実現することができなかつたことをそれぞれ認めることができる。そして、以上の事実から判断すると、抗告人近藤、同松永とも本件懲戒処分により相手方からの俸給を受けることができなくなつたため、家族を含めてその生活上大きな困難に直面するにいたつたことは当然であり、しかも懲戒免職という処分の性質からいつて、同抗告人らが教育者としての体面と生活とを維持するに足りる収入のえられる職を他に求めることは至難であり、むしろほとんど不可能であることは常識的にみても疑いのないところであるから、抗告人らがその生活を維持するためには借金に頼るほか何かはなはだ無理なことをしなければならないように思われる。しかし、それとてももとより限度のあることであるから、同抗告人らに対する処分が続くかぎり、同抗告人らの生活が遠からずして破綻にひんするにいたるであろうことは予想に難くない。

してみると、抗告人両名は本案判決の確定まで俸給を受けることができないことによつて回復すること困難な損害をこうむることはきわめて明白であり、本件処分の効力を停止する緊急の必要があるといわなければならない。そして、本件記録を精査しても、本件処分の効力を停止することが公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあることを認めるに足りる資料はなく、また、本件の本案が理由がないとみえる事情が認められる資料も全然ない。

してみると、本件処分の効力の停止を求める抗告人らの本件申立は他の点について判断するまでもなく理由がある(処分の執行または手続の続行の停止によつては目的を達することができない)ものとして認容すべきであり、この申立を却下した原決定は不当であつて、取消しをまぬがれない。

よつて、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第四一四条、第三八六条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 新村義広 市川四郎 中田秀慧)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例